玉磨かざれば光なし そしてそれが俺なら仕方ない
「玉磨かざれば光なし」
という ことわざがあります。
意味としては
優れた素質を持っていても、努力しなければ才能を十分に発揮できない
・・・といったような意味でしょうか。
最近よく思うのですが
人生は決して平等というわけではありません。
それでも
自分なりに努力すれば小さな一歩、小さな成功を手にすることはできるはずです。
行動してきたことと運で今の自分の環境のほぼ全てを説明できると思う | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
例えば
自分が玉なのか石ころなのかは置いておいて
まずはやってみないと、磨いてみないとどうなるかわかりません。
そういえばジブリの映画『耳をすませば』にも同じようなニュアンスのシーンがあった記憶があります。
磨いてみてダイヤモンドのように光ったり、いくら磨いても石ころのままだったり、はたまたそのまま粉になってしまったり
結果は様々だと思いますが
結局いきつく結論として
たとえやってみて傍から見たら「失敗」だとしても
それを「失敗」か「成功」か、あるいはまた違う別のものか最終的に判断するのは自分なわけで
(他者に迷惑をかけないという前提は必要ですが)
自分らしく生きていけたら、それで良いのではないかと思うのです。
あえて思うような結果にならなかったことを敗北と呼ぶなら
好きな漫画、セスタスの台詞でいうところの
敗北し脱落し 夢敗れても「人生」は続くのだ 敗者は散らず ただ再起あるのみ 不屈なる「再起者」に祝福あれ
…拳奴死闘伝セスタス3巻・・・ナレーション
ということになります。
たとえどこかで敗れたとしても、必ずや自分が活躍し輝くことができる場があるはずです。
そのためにも、自分を磨くということを忘れてはいけないのだと思います。
雨だれ石を穿つ
圧倒的努力は岩をも通す