勝負に出ている人(挑戦している人)の勇気は尊敬できる【傍観者に成長なし】
最初から挑戦することを否定されたり
有名になったり、いろんなことに挑戦したりすると
成功しているうちはいいものの、少し躓くと叩かれる!ということが
日本の社会やマスコミでは結構あるように思います。
あと最近、子どもが
「授業参観のゲームに参加しないでね~」
みたいなことを言うので理由を聞いたら
「負けると嫌だから」、と。
そこで、ん!?と思いました。
それはマンガ『セスタス』の台詞を思い出したからです。
世の中に男は三種類しかおらぬ
形は何であれ勝負に挑む勇敢な者 その勝者と敗者…
そして一生勝負に出ない腰抜けだが…三つ目は論外だ 語るに値せん
ようく見ろ!ルスカ
これが世界だ!勝った奴しか賞賛されぬ
ルスカよ おまえは今 どっちを見ていた?
(拳闘暗黒伝セスタス8巻より)
勝負に出たら(挑戦したら)
失敗したり負けたり笑われたり悔しい恥ずかしい思いをすることもあると思います。
でも
挑まなければ進歩は望めない 成長とは則ち挑戦の経歴に他ならない 挑み続ける情熱無くして何が為せよう
(拳闘暗黒伝セスタス3巻より)
ということで
勝つにしろ、負けるにしろ、勝ち負けがないものにしろ
どちらにしても傍観者でいるより経験を得ることができます。
以前の記事「自信の正体」でも触れましたが↓
100%勝つ気でやる!モラウさんに学ぶ自信をつける方法の考察【自信の正体】 | kyouの今日どう〜ブログ (kyoudoublog.com)
ちょっとしたことが積み重なると大きな差になっていくものです。
別に、自分が大して好きではないことについては無理にやらなくても良いと思いますが、やってみたいけどいつの間にか差がついてしまっているので嫌だな~などと思うのはもったいないと思うので。
もちろんリスクの高いことに対して挑戦するのは熟考すべきと思いますが
リスクのないところでは
どんどん挑戦して経験を積んでいくべきなのではと。
子どもに対しても、自分に対してもそう思います。
誰かが失敗した時に
ここぞとばかりにみんなで叩くようなのはカッコ悪いし
それより笑われてもカッコ悪くても挑戦している人の方がまだ格好良いし
成長できる。
そしてリスクがあるからこそ、そのリターンもまた大きくなってくるというのも1つの事実かもしれません。
思えば右も左もわからない1人の青年が 力道山の手によってブラジルから連れ戻されました。
それから38年の月日が流れてしまいまいた。
最初にこのリングに立った時は、興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが
~
私は色紙にいつの日か、闘魂という文字を書くようになりました。それを称してある人が「燃える闘魂」と名付けてくれました。闘魂とは己に打ち克つこと そして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。
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人は歩みを止めた時に そして挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います
この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その1足が道となり その1足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
(アントニオ猪木引退スピーチより)