グラスワンダーの思い出
ワンダーホースグラスワンダー
競馬にはまっていた時、一番好きだった馬がグラスワンダーでした。
「どこまでちぎるんだグラスワンダー!」という三宅アナウンサーの実況とともに最強の3歳馬(旧表記)として朝日杯をレコードで圧勝。
しかし4歳春に右後脚を骨折。
復帰初戦で当時の現役最強馬サイレンススズカに果敢に挑むも5着。
アルゼンチン共和国杯も6着。
1998年の有馬記念で
同世代の2冠馬セイウンスカイ・古豪メジロブライトらをおさえて復活。
5歳時には京王杯スプリングCを直線一気で快勝。
安田記念ではマイルの強豪エアジハードに不覚をとるも
宝塚記念でスペシャルウィーク相手に3馬身差の圧勝!
3着ステイゴールドとの差は10馬身。
G1で1着と3着の差が10馬差というのは殆ど例がないことです。
しかもステイゴールドは決して弱い馬ではない。
いかにグラスワンダー・スペシャルウィークが強かったということか。
競馬ブックのレース回顧でつかわれた
”グラスワンダーは2度蘇る”
というフレーズが印象的です。
エアジハードの2着に負けたことでさえ、「まさか!?」と思われるほど人々に幻想を抱かせたグラスワンダー。(当時のエアジハードはそこまで評価が高くなかったこともありますが)
大歓声・大群衆の前でも落ち着いているように見え
競馬場での佇まいも超然としていて雰囲気がありました。
しかし、この1999年宝塚記念がファンが描くグラスワンダー像と実際のグラスワンダーが重なった最後の時だったように思います。
秋は毎日王冠でメイショウオウドウと接戦。
調子が上がらないままジャパンカップを回避し、調子を考えるとスローペースに助けられた感のある有馬記念が最後の輝きに。
最強世代と言われた1998クラシック世代の生き残りとして
6歳時はグラスワンダー無双になると思われましたが
調子が上がらず敗戦が続き
宝塚記念で再度骨折。引退。
勝ったテイエムオペラオーの時代へとなっていきました。
ファンとしては
2000年宝塚記念を圧勝して
凱旋門賞制覇へ!というグラスワンダーが見たかったです。
(その年の2000年凱旋門賞はシンダーという最強クラスの超怪物がいたので、万全のグラスワンダーでも勝敗はわからなかったでしょうが)
種牡馬としても自身が果たせなかったジャパンカップ制覇を成し遂げたスクリーンヒーローを出し、現役です。
(スクリーンヒーローもモーリスという名馬を出し、グラスワンダーの血脈は続く!)
ベテラン的場均騎手が自身が乗った中で「最高の馬」と断言し
スラムダンクの「それでも仙道なら…仙道ならきっと何とかしてくれる!」のように
多くの競馬ファンに”グラスワンダー幻想”を抱かせたワンダーホース。
今でもグラスワンダー産駒が出ると、応援しちゃいます。