同窓会と平凡な幸せについて【熱い三流なら上等よ】
2024年から少し前に同窓会があって
それこそ10何年前の結婚式以来や、卒業式以来20年ぶり以上という時を経た同窓生もいたけれど
なんていうか
純粋にまたみんなと生きて会うことができて嬉しかった。
それは、クラスに嫌いな人がほぼいなかったからかもしれない・・・平和ではあった。
そして学生時代殆ど話さないまま終えた人もいるけど、あの日あの時同じクラスで青春時代を2年間も共にした仲間意識というのは(クラス替えがなくて2~3年同じクラスだった)少しは感じているから
そんなみんなと良い年こいてまたお互い元気に会うことができて、感謝しかないなぁ。
先生もいて、ハゲた感じはしましたが こういう懐かしい面々とまた会う日がくるというのは1つ良い日になりました。長生きはするものか。
もちろん
長い年月を経てみんな全ての面でいろいろ変わっていると思いますし、なんというか一時の再会を楽しむものの、いつもの日々においては何も変わらない存在ではありますが、きっと今やらなかったら一生やらなかったのではないかという気もします。
今回あったことで、また今後も何年か何十年に1回はあるんだろうなということで、良い年こいたじじばばになっても、たまには良いのかもしれません。
現在進行形で実際問題本当にみんな元気なのか!?というのはよくわからないところもありますが、何にしろ
せっかくの同窓生なので、みんなそれぞれの幸せな人生を歩んで行ってほしいなと思います。
自分も含めて。
そういえば昔、『天』という麻雀漫画の「アカギ」というキャラクターの台詞で
『いいじゃないか・・・!三流で・・・!熱い三流なら上等よ……!』
という台詞がありました。
何流か~なんてまぁどうでもいいですが
とりあえずみんな生存確認して、また会えたら良いし
熱くというか、幸せに生きていたら尚良いなと思いました。
昔
卒業文集で
「私はみんながいつも通り学校にきて、別に何事もないまま1日が過ぎていく、そんなごくごく平凡な毎日が好きでした」
・・・という文章を読んで、その文章の美しさと内容が凄く印象に残っていたりしますが
今は
平凡な中に幸せがあるし、実はそれが最高なんじゃないの?ということも
うっすら思うことがあります。
そして、先の話ですが
例えば1クラス40人のうち半分くらいは何となくラインか何かのグループでそれとなくつながっていても
1人消え2人消え…
みんな70代~90代になれば死ぬのが自然だと思いますが
死んだら死んだことの連絡もできないなぁと思うと
ちと寂しい気もしますね。
死期を感じたなら
この人には生前親しかったので一応自分が死んだら連絡してくんないかな・・・というリストを作って家族等に頼んでおくのも一興なのかも。
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