誰の為の人生か【自分のため】【大切な人のため】岐路に立つ時があるなら思い出して【死別・離婚】
「毎日」がとめどなく流れ続く中で
誰のために生きているのか?と考えたら
当然「自分のため」であり
ひいては「自分の大切な人のため」という答えに多くの人はなると思います。
私自身もそうです。
そして、運良く今現在は自分以外にも
愛すべき家族もいます。
だから、愛する対象は自分だけでなく、家族をはじめとして
自分をとりまいてくれている人にも向けられています。
ですが
自分が一番最初に死ぬ場合は深く考えないでOKかもしれませんが
(といってもその場合でもいろいろ考えることは多そうですが)
その大切な人も
自分より先に生涯を終える可能性もありますし、何かの理由で道を違える可能性もあまり考えたくはありませんが可能性としてはあります。
そんな時に
「誰のための人生なのか」
「自分の人生 これからどうしていこうか」
ということを自分自身に問い直すのではないかと想像します。
また、仮に
自分に家族や子どもがいなかった時の世界線を想像するなら
分散しない分、より自分自身・自己愛が強くなるような気もします。
家族に代わる何か、「友達」の比重も高いままだったかもしれません。
故・アントニオ猪木氏の言葉で
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」
といった言葉や
好きだったマンガの言葉
「男は夢を捨てちゃいかん!…たとえ地獄でどんなに苦しみもがこうと そこから這い上がってくるのが男というものだ!人間に定められた運命などありはしないッ 運命は自分の力で切り拓くものだッ 俊輔 夢を捨てるな!!!」
・・・優駿の門8巻 三石調教師
人生は続く以上
そんな感じでやっていくしかないのかもしれません。
そんな時がきても
時間はかかるかもしれませんが
きっといつからでも
立ち上がることができる。
新しい喜びを感じることができる。
自分なりの道を歩き続ていくしかないし、歩いていくことができる。
そんな気がしますし、そう信じたいです。